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大吉祥寺.pm 2025 みんなの推し俳人・歌人
はじめに
先日、大吉祥寺.pm 2025というテックイベントに参加してきました。
登壇者の方が紹介していた好きな俳人・歌人の句を調べてみて自分の感想を残しておこうと思います。
- 知り合いに紹介された本を読んでみた的なノリの記事です。解説とかではないです。
- 実際の登壇時には「推し」or「好き」や「歌人」or「俳人」など個人で微妙に言葉の使い分けが異なっています。
その辺のニュアンスは汲めていないかもしれないですがご了承ください。 - テックイベントで歌人・俳人が紹介されている経緯が気になる方はイベントに参加してみましょう。

尾崎放哉(おざき ほうさい)
推した人:クドウマサヤ さん
私の印象に残った句
こんなよい月を一人で見て寝る
最初にこの句を見た時、素敵なものと一人ぼっちの自分を対比しているのかなと思いました。
そのあと少し立ち止まって句を読み返してみて思ったことは、月を見ている本人には大切な人がいて、今近くに居ないのではなかろうか、ということでした。
自分の場合、美味しいものを食べた時とか面白いものがあったら妻に共有したいなと思うことが多々あります。
この月を見ている人も家族なのか恋人なのかが居て、それを見た時にその人のことを思ったと考えたら単なる対比ではなく、温かさを感じられるようになりました。
実際、句集の他の句をみても子供を扱った句がいくつかありました。
こういったところから歌人の暮らしにも考えを巡らせることができる素敵な句だなと思います。
出典:尾崎放哉選句集 Kindle版 (非アフィリエイトリンク)
中村草田男(なかむら くさたお)
推した人:つめたいうどん さん
私の印象に残った句
大学生おほかた貧し雁帰る
草田男は明治~昭和時代の俳人で、初めて見る漢字多めの句が中心だったため句を流し読みするだけでも面白かったです。
(私は知らない漢字を見つけて辞書を引くのが好きな人です)
そんな中で比較的わかりやすい語でできていたこちらの句が目に留まりました。
雁帰る(かりかえる)は春の季語で、越冬のために日本に渡ってきた雁という鳥が、春になり北方に帰る様子を指すそうです。
大学生という語と絡めると、北国に進学した学生が冬休みに帰省し、また北国に戻っていくシーンを連想します。
私は家庭の都合で進学先に地元を選ぶほかなく、学生時代は金銭面でまあまあ苦労しました。
かつ実家とはあまり折り合いが良くなく帰省もあまりしませんでした。年末年始はコンビニの夜勤バイトで年を越していた記憶があります。
(暗いw 今は家族ともよく会ってます)
そのときのことを思い出しつつ句を見ると、帰るところがある人、もっと言うとそこから遠くに出られる人への憧れにも似た気持ちと、当時の経験があってよかったと思えるような人生にしたいという反骨めいた気持ちがふわっと浮かんできました。
出典:現代俳句データベース
堀田季何(ほった きか)
推した人:Masaki ASANO さん
私の印象に残った句
万緑を疾走す血の乾くまで
パッと句を見た時に場景が思い浮かばずアレコレ考えてみると、自分を森で生きている動物に置き換えると少し理解が進んだ気がしました。
血を流しながらけもの道を走り抜けているようなイメージです。
「どういう状況やねん」と思って興味を惹かれました。
この解釈もアリだと仮定すると、興味深いのは休んで止血しないところですね。
何かに追われているのかもしれないし、休むという発想がないのかもしれない。
自分に置き換えてみると、この状況って「考えながら走る」ということなのかなと思いました。
私はエンジニアとして受託開発に携わる機会が多く、要件定義と呼ばれる初期工程では正解のない道を納期までに駆け抜けるような場面もあります。
そういう時に大なり小なり気持ちに負担が掛かることはあるのですが、そこで立ち止まってあれこれ考えずに(=休んで止血せずに)、多少の問題は抱えながらでも走り切ってしまう(血が乾くまで疾走す)という考え方を連想したということです。
こう考えて句を眺めると、ちょっと物騒にも思えた内容がポジティブな印象に変わった気がします。
出典:第77回 現代俳句協会賞 受賞者紹介記事
歌人・俳人というと故人をイメージしてしまっていたのですが(失礼すぎる)、
堀田季何 氏は存命でバリバリXやってました。
秋元不死男(あきもと ふじお)
推した人:Rinchoku さん
私の印象に残った句
へろへろとワンタンすするクリスマス
かわいいですね。
吸うときにちょっとコツがいるあの場面をへろへろと表現するところが気に入りました。
この句が書かれた時代がわからないですが、作者の生没から明治~昭和期であることは間違いなさそうです。
当時クリスマスにワンタンを食べる風習があると聞いたことはないので、もしそうだとするとクリスマスムードのなかでケーキもチキンも食べずに(または食べられずに)ワンタンをすすっているシーンが思い浮かばれます。
この場面を単に「みんなと違うことしてるオレ・ワタシ」を描いたものだと色眼鏡で見ることもできるかもしれませんね。
見方を変えて、例えば何かのために貯金をしていたり、年末に親戚へお年玉をあげるために節制していたりするのかも。と思うと作者の暮らしやら時代にも興味が沸いてくる句だと思えるようになりました。
昔プレイステーション4を買うときに似たようなことをしたことがあって、その時のことが浮かんでそう思った次第です。
余談ですが、ワンタンというと春木屋というラーメン屋さんのわんたん麺が大好きです。
吉祥寺にも支店があるので、きちぴーに参加する機会があれば是非お試しください。
出典:現代俳句データベース
千種創一(ちぐさ そういち)
推した人:長江佳亮 さん
私の印象に残った句
苔むした軍手一つが落ちている 僕には倫理が足りない
昔Xで見かけた「人は死ぬと道端に落ちた手袋になる」というポストを思い出しました。
日常のよくある光景に物語性を持たせたところが好きで印象に残っていたのですが、この句を見た時も似たような印象を抱きました。
苔むした軍手に物語があるのだとすると・・・
僕はなぜ倫理が足りないと考えたのか。
なぜ倫理観ではなく倫理なのか。
なぜある、なしではなく足りないなのか。
僕に足りないなら私には足りているものなのか。
などなどいろいろ想像が膨らんでじっと見つめてしまう句でした。
この軍手は僕のもので、ある事件と関連していて―みたいな。
そういえば、子供の頃に国語の授業で「俳句は写真だ」と教わった記憶があります。
ある風景を点で捉えたものであるといったニュアンスなんだと捉えています。
こういう句を眺めていると「余白のある絵」という方が自分にはしっくりきます。
風景の広がりを自分で想像できる自由さがあるからです。
なんだかポエムじみてきたのでこの辺で切り上げます(笑)
こちらの方もXアカウントありです。
出典:現代短歌パスポート1 シュガーしらしら号 Kindle版 (非アフィリエイトリンク)
ひとこと
このジャンルはKindle本が少なすぎて現代俳句データベースから引用しがち
行間とか余白にもこだわりがあって紙じゃないと表現できないのかな。と思ったり。